« 2011年07月 | メイン | 2011年09月 »

2011年08月31日

被災地での調査報告その��  NO.793

台風が接近してきましたね。はじめの予報では、東の方に向かっていく感じでしたが、まっすぐ北上してきましたよ。ヤバイのではと、心配しております。皆さんも、十分に警戒を!!

それでは、続きです。また、念のためですが、少々非難めいた表現もでてきますが、できるだけ被災状況を知るためにも、聴き取った通りに書かせていただきました。関係者の皆様には悪しからずご了承を。

大槌町1.jpg
※町長さんや、数十人の職員さんが亡くなられたり行方不明になっている大槌町役場。言葉がありません。心からご冥福を。

山田町1.jpg
※山田町もガレキが随分片付いています。目の前に広がる空虚な空間。これも言葉がありません。

山田町2.jpg
※対照的に」、山田町役場は、少し高台になるので、下部を除いて難をのがれています。役場や職員さんの存在のあるなしは大きいです。

��8/5山田町役場にて「山田町における静岡県の支援について」調査
説明:沼崎喜一 岩手県山田町長
    白戸 山田町危機管理室長

山田町の被災状況は(8/3現在)、死者702人、行方不明83人、避難者561人(22か所)。

沼崎山田町長のお話〜
 
・静岡県等の応援あって、何とか日常業務をこなしている状況。北海道ほかの支援は7月いっぱいで撤退予定。主に、避難所の世話を支援いただいた。仮設の移転準備もようやく進んできた。

・数年前にあった、遠野市からの後方支援のお話は、初めあまりピンとこなかったが、遠野市長自ら熱心に説明にまわってこられた。

・被災後は、大槌町の住民が歩いて遠野市に支援を求めにいって、はじめて情報が伝わったという経緯。衛星回線が伝わらなかった。静岡県の支援は抵抗なく受け入れた。岩手県自体が混乱していた状況。岩手県は沿岸部からの情報待っていたようだが、町は大混乱の状況。岩手県自身が現地に直接、足を運ぶべきだったと思う。途中から不満聞いてもらい、支所のある宮古から県が来るようになったが。

・瓦礫撤去は宮古以南では一番進んでいる。町での負担は無理だが、国の回答は待っていられないので、見切り発車した。結果オーライで国が全額近く負担してくれることに。

白戸室長からの説明〜

・自衛隊も入って 津波対策の訓練、毎年行ってきた。
・津波+火災の発生に対し、道がなくなっており、消防の消火活動が不可に。
・岩手県の防災無線は話中に。たまに繋がるが・・・FAXもNG。県が直接動いていない。訓練では現地に行く予定にはなっていたが、自治体が被災し機能していないと考えていなかった。
・被災自治体で何ができるのか?何も出来ないことに気づく。静岡県は「軽トラ5台もってきます!」と言ってくれた。「何が必要か?」ときく県はいらない。水、食料、暖房、被災地現場に必要なものは明確だったはず。 
・避難所では、物資をおろす職員がいない。被災地職員は、住民のけが対応、行方不明者探し、連絡調整等で、全く動けない。物資が届かないのではなく、降ろすのに精いっぱい。持ってきてくれるだけではダメ!避難所の人の手にまで届かないと意味がない。それだけの人員が必要。県の対応は×。海上自衛隊は提供できる備品リストを出してくれた。静岡県も同様にしてくれた。気持があるかどうかだ。 

・民間ボランティアは感謝している。でも1週間で帰ってしまうので残念。NPOによっては、実績ほしさのところもあった。

ポイント
※県と連絡ができるかどうか
※町内と連絡がとれるかどうか

各支部と連絡とれると安心感に。電気、電話、携帯全部がダメになった。 
TVも電源がダメ、AMラジオもダメ、役場内は暗いままで、仕事が出来ない状況に。海上自衛隊は、3/11の16:00には来てくれたいた。

・業務は、途中から応援スタッフに移した。仮設住宅準備や義捐金処理に追われる。他市町の職員に入ってもらいギリギリもっている。大槌町は、亡くなった職員多く、機能できていない。 

・政府の現地対策本部は盛岡市に。山田町には、岩手県が直接入っていない。 支所対応のみ。盛岡(県庁)は、津波の危機意識ないのでは。一方、静岡は県内の8割が被災する可能性があり、危機意識が高い。

・町職員は、自らも被災しているが、何とか自分たちでやらなきゃと思っている。他の市町職員の応援を頼もうとしない、受け入れない。そういう面での心のケアも必要かと。

・山田病院は、仮設で対応しているが、入院はできない状況に。

投稿者 boss_blog : 18:40 | コメント (0)

2011年08月30日

被災地での調査報告その�◆。裡蓮ィ沓坑�

 テレビのどのチャンネルをまわしても「ドジョウと金魚」の話ばかりですが、何はともあれ民主党の新代表に野田さんが決まりました。三人目の正直!?といった見出しもおどっていましたが、とにかくこの際落ち着いた政治を望みたいところ。特に、どの報道も触れていますが、震災対策や原発問題、経済復興など、国難とも言われているこの状況下で政治を進めるには、「ねじれ国会」がそのままでは、どうしようもありません。制度改革も含めて、政治が前に進む手法、知恵を出し合ってほしいと思います。

 相変わらず、ちょっと?長いですが、報告の続きを。また、念のためですが、少々非難めいた表現もでてきますが、できるだけ被災状況を知るためにも、聴き取った通りに書かせていただきました。関係者の皆様には悪しからずご了承を。

釜石1.jpg
※宿泊した釜石市の駅前商店街の被災の模様です。

釜石2.jpg
※1階は津波の襲来で激しい損傷状態です。夜の到着でしたが、信号も電気もついていませんでした。

釜石3.jpg
※釜石市から山田町へ抜ける途中。大槌町あたりです。後ろは、被災した学校のようです。

釜石4.jpg
※ここに町があった・・・・・ガレキ撤去が随分進みました。足元をみると、建物の基礎が・・・たくさんの家が建ち並んでいたところでしょう。今は、まるで荒野のよう・・・

�。�/4 静岡県の現地対策本部のある遠野市浄化センターにて 「静岡県の被災地への支援について」調査
説明:小川英雄 静岡県危機管理部理事

・静岡県は、いち早く被災地に現地支援調整本部を設置し、現地のニーズ調査から、支援物資の提供、さらには派遣職員の受け入れ態勢づくりに積極的に取り組んできた。

・知事会からは岩手に物資支援してとの要請あり。ならば、全面的に入ろうと決断した。ここ遠野市は、扇の要の位置にあり、ここに本部をおくことにした。東北人は、どちらかというと閉じてしまう人柄なので 地元遠野市の人と一緒に行動することがベターと判断。中国四川省とは友好関係にあったので、対口支援について聞き及んでいた。

被災地の支援にあって取り組んだ基本的な考え方
・被災者の立場にたち、被災自治体の手となり足となった活動する
・日々変わる被災地のニーズに的確にする
・混乱した被災地では、「何が必要ですか?」ではなく、「こういうことができる」と、具体的なメニューを提示する

・先遣隊11名(3/19〜3/26)
主な活動=岩手県内の被災地を調査、主な支援先を大槌町、山田町に、被災した沿岸市町を支援する遠野市と連携 支援物資=スズキ自動車から提供受けた軽トラック10台、毛布、水、非常食
・第1次隊20名(3/25〜4/1)
主な活動=遠野市浄化センターに現地支援調整本部を設置、大槌町、山田町、遠野市の物資拠点運営支援、遠野市災害対策本部に要員配置 支援物資=生野菜、果物、米、粉ミルク、下着、靴等生活必需品
・第2次隊26名(4/1〜4/9) 主な活動=物資拠点運営支援を継続、被災市町の行政事務の応援ニーズ把握(一部事務を応援) 支援物資=野菜、果物、調味料、行政事務用品
・第3次隊26名(4/9〜4/16)
主な活動=物資拠点運営支援を継続、行政事務の応援を開始 支援物資=子ども用文房具
・〜現在は、第19次派遣隊24名

・知事会では、重なり避けるための調整は必要だが、振り分けは無理。市長会も含め、事務的な作業をするマンパワーはない。

・静岡県庁の危機管理部のヘッドが自衛隊出身者で、これだけの大災害だと現地に入ってみないとわからないと判断し動いた。遠野市は、以前から後方支援の訓練も行っており、被災地←→隣の自治体←→外の自治体へ という支援の流れを考えた。

・支援本部は4週間後に立ち上げ、県1/2市1/2の人員構成割合で派遣した。 現場は、罹災証明の手続きなど、市町の職員がほしいから、県内市町にもお願いした。人口割り等、構成割合の調整は静岡県が行った。(初めは、市長会、町村会に頼んだが、事務的なキャパがなかったので)

・財源については、4月は交付税でもらった。ありがとう、と言ってもらえる時期まで、9月末くらいまでは現地での支援を続けたい。

・地域経済の復興を考えると、物資については、ある時期からは地元で買ってあげる、調達してあげることも重要。

・静岡県のボランティアセンターも、同じ場所、遠野市浄化センターに設置している。仮設住宅に入居すると支援が途切れるので、これからは、ボラセンの役目が大きくなるのでは。

・後方支援拠点となった遠野市の存在は大きかった。後方支援の体制づくりに積極的に取り組んできた市長の存在は大きい。

投稿者 boss_blog : 22:52 | コメント (0)

2011年08月28日

被災地での調査報告その�  。裡蓮ィ沓坑�

今年の夏休みも、まもなく終わりですね。いい夏が過ごせたでしょうか?宿題に追われている子どもの手伝いをしてる(させられている?)親もこの時期ありかも。そんなワタシの宿題は、今夏もたくさんの調査に行かせてもらいましたが、その中から、所属する東日本大震災に関する復旧・復興支援調査特別委員会で出向いた東北の被災現場と自治体の調査報告書をまとめること。調査先は、5か所ありましたが、順にレポートしておきます。

特別委員会 宮城県.jpg

�。�/4 宮城県議会にて 「宮城県の初動対応について」調査
説明:佐藤宣行 宮城県総務部危機対策課長
    東海林清広 副参事兼課長補佐

 8月3日現在での宮城県の被災状況の概要は、死者9,275人、行方不明者2,437人、家屋の全壊70,105棟、半壊67,014棟、避難所数236施設(ピーク時は1,183施設)、避難者数8,895人(ピーク時は320,885人)。ライフラインの復旧状況については、電気は、津波の被害を受けた地域を除きすべて復旧、水道は、津波被害により11市町で給水支障(未復旧率約4%)あり、ガスは、被害が甚大な地域を除きほぼ復旧、現在は気仙沼市で供給に支障あり。応急仮設住宅は、17,276戸(15市町)を完成引き渡し済で、8月中旬を目標に累計2万2千戸の完成を目指す。災害廃棄物は、概ね1,500万tから1,800万t(土砂を除く)、1年以内に現場から一次仮置き場に撤去し、二次仮置き場において概ね3年以内(平成23年度末)を目処に処理。街を元に戻すことは出来ないので、新たな地域づくりをゼロベースで考えていきたい。夜間は30〜40分で避難できないから、どうしても住居は高台にしたいが、莫大な費用がかかる。特に、気仙沼市や石巻市は平地が少なく、仮設も厳しい環境になる。

(1)これまでの防災計画の検証
◎県の初動態勢等と課題

・地震と津波は別物。宮城県沖地震に備え、アクションプランをたて官民挙げて施設の耐震補強、道路整備等実施してきた(震災対策推進条例もH20年に制定)→ 一定の成果はあった 地震による死者は3人で、他はすべて津波による死者。

・津波では死者・行方不明者合わせ約12,000人。M7.4〜8.0が最大と想定してきたので、ある程度は防げると考えてきたが、実際はM9.0(世界4番目)。津波は被害想定調査の2〜3倍の高さ。地震から津波襲来まで、約40分〜60分。津波の破壊力は巨大であった。

・ハードには限界があり、減災へ向けて避難意識の醸成が重要。

・状況に応じて過去の経験にとらわれない柔軟な対処(避難行動)が必要
特に、県北部は、40〜50年単位で津波被害にあっており、警戒・訓練もしてきたが・・・。県北部では50年前のチリ地震津波を示したポールの存在や、一方、県南部では、先祖の代から「ここまでこない」といった安全意識がかえって避難の足かせ、被害拡大につながった。忘れ物取りに戻った人も。防災教育の難しさを感じた。こちらの方言で「てんでこ」=津波には、それぞれで逃げることが重要。デジタル映像がたくさん残っているので、今後の啓発に使っていきたい。他県にも活用を!

・同報無線の一部で機能不全が発生:ポータブルラジオが有効かと。
防災無線は断線したし、エリアメールはドコモ、DDIの1業者になるうえ発信PCが停電すると機能しない。その点、ラジオは有効、ポータブルラジオ1個、低コストで有効である。

・大規模・広範囲の災害となり、初動においては被災市町の情報収集が困難

・津波で役場庁舎壊滅2町、地震で被災1町=通信連絡手段確保に時間要した。

・多重の通信連絡手段の確保が重要(地上系、衛星系、無線)
県と市町、情報通信システムの補強が必要。衛星無線系は、電源も燃料もすぐに切れてしまった。仕方ないので、時間決めて通話した。燃料と電源を高台に確保しておくべきだった。

・避難所が多数設置されたことにより、避難所や避難者の情報把握が困難

・自衛隊ほか国関係期間、緊急消防援助隊、各都道府県防災ヘリ等による救難、
救助を実施。災対本部事務局でエリア分けを行い連携した取り組みが行われた。

・初動期においては、県内からの物資の確保、被災地への運搬が困難
・避難所や避難者の情報把握が困難なため、物資の必要数量がミスマッチ
どこにどれだけ必要か、わからなかった。地元の情報がつながらず、市町でもわからなかった。

・流通備蓄ではなく、現物の備蓄が重要=住民3日程度、市町村数日程度、県数日程度

・国の現地対策本部が設置され、関西・中部・北陸方面から必要物資を搬送=時間かかる

・搬送手段の確保、及びストックヤード必要、管理=自衛隊、民間の物流業者、倉庫業者の支援が有効
救援物資は、県での集約に数日、市町への配布に数日、と時間がかかった。しかも、大量でさばけなかった。ストックヤードも近県、県内、どこかに必要だった。また、さばく人員(できればプロ)が要。倉庫業界+トラック協会に任せた。市町も、さばけず、クロネコ、佐川にお願いした。

・燃料の不足により、病院、緊急車両、被災自治体、一般住民の活動にも支障発生  1カ月間、市中からガソリン、灯油がなくなる。10Lまでに制限。燃料不足を国に依頼したが、1カ月かかった。山形まで行けば物が買えたのに、そこに行くガソリンがなかった。隣県(山形県)に備蓄が必要。

◎市町村その他現場の状況と課題

・津波・地震による役場庁舎の壊滅(3町)、津波の浸水が引くのに5日
・通信・連絡手段が途絶 
・被災が広域におよび、市役所・役場の人間も被災。被災状況がみえにくい仙台市内ですら、10万戸の罹災証明を出した。
・被災地(避難所・避難者数)の情報収集が困難
・避難所が多数設置され、支援対応が困難
・物資の確保が困難
・燃料不足=国への対応を依頼:解消まで約1カ月要した
・県内142ある漁港すべて被災し、水産加工施設もダメに。
・南山陸町を例にとると、一般予算が70億円ほどだが、想定される復興予算は600億円〜700億円規模になる。

(2)国の対応の問題

・発災の翌日(3/12)に国の現地対策本部(内閣府をトップに各省庁で構成)を設置。
・物資(食料、燃料、その他)の調達、災害救助法関係の制度運用等の調整を実施
・復旧、復興に向けての情報収集、関係機関における調整も活発に実施
・復旧・復興に向けては財源確保や規制緩和が重要
・国の復興構想会議等で方針が取りまとめられた。
・瓦礫処理や農地の除塩事業など補助率が明確に示されないことが課題

(3)県を超えた広域的対応、協力態勢の課題

・8道県の災害協定(東北・北海道)により応援
・全国知事会や総務省を通じての物資支援や応援職員派遣、大変有り難く、大変有効。

・大規模災害に備え、全国からの応援を調整する仕組みやペアリング支援の検討が必要では!!
いち早く、関西広域連合は入ってくれた。知事会、総務省と県が相談、同じ県、市に入ってもらうよう調整はした。阪神淡路大震災の経験がある関西広域連合とは、被災地が都市型と田園型という違いもあり、初めは戸惑いもあったが、時間とともにわかってもらえた。南三陸町長は大感謝しており、今度、関西が被災したときは東北連合をつくってくれと言っているほど。事前に、支援の環境をつくっておくことが大事だった。

・被災市町からは、市町の職員の派遣要望がある。特に専門職の要請強い。H24年3月までの期限が一つの区切り、その後は要検討か。被災者も同じで、被災市町も自立が必要な面もある。

以上 (報告は、現地でいただいた資料に、聴き取った内容を加えて作成してあります。)

投稿者 boss_blog : 23:19 | コメント (0)

2011年08月16日

聖なる・・・   NO.790

平和1.jpg

平和2.jpg

 連日の調査ラッシュに猛暑の中の初盆参りと、相変わらずハードな夏が続きます。そんなワタシの今日のカーライフのお伴は、TOTOの「聖なる剣」。洋楽のタイトル、特にハード・ロック系には、「聖」だとか「剣」だとかが、よく使われますねえ。洋楽リスナーには、そんな言葉に惑わされるオタクな「おこちゃま」が多いということでしょうか。まっ、ワタシもそんな人種のひとりということになりますが・・・それはともかく、熱気が残る真夏の夜に聴く、アルバムラストの「アフリカ」は、なかなかいいもんです。

さて、きのうは、終戦記念日。毎年参加させてもらう、地蔵院青蓮寺の「平和のつどい」に、今年も行ってきました。いつも参加いただく日生学園ハンドベル部の皆さんのコンサート等に加え、今年は、曽和道子さんの「わたしの戦争体験・あの頃を振り返って」を聞かせていただきました。空襲でお父さんを、戦地でお兄さんを亡くされた曽和さん、その無念さ、つらさ、悲しみが、お話からよく伝わり、あらためて平和の尊さを考えさせられました。平和にかかわる活動も、しばらく途絶えているので、また何かやり始めなくてはと・・・頑張ります!

PS.ボスメンバーの一人、メキハナの「millyちゃん」が、雑誌「S Cawaii!」(エスカワイイ・主婦の友社)の「S-QUEEN」バトルに挑戦しています。よかったら、応援してあげてね!
→ カフェ メキシコ★ハナコ
※投票は1回のみよ!

投稿者 boss_blog : 22:51 | コメント (0)

2011年08月09日

またまた県外調査です

2011080913580000.jpg

8〜9日の日程で、四日市港議会の県外調査で、静岡県の清水港と神奈川県の横浜港に来ています。写真は、清水港にて。

投稿者 boss_blog : 13:58 | コメント (0)

2011年08月06日

夏の香落渓

2011080610230000.jpg

 子ども支援グループ「リヨン」の皆さんの、夏の企画を訪ねてきました。恒例となった、香落渓でのイカダを使った子どもたちの川下り。最近は、自然の中で遊ぶ機会の少なくなった子どもたちには、最高の時間になったようです。今夏は、過去最高の40人近くの子どもたちの参加があり、子どもたちの歓声が渓谷に響いていました。

 香落渓と言えば、県道名張曽爾線が落石による災害復旧工事が続いています。以前にも書いたように、柱状節理の奇岩は、観る分にはいいのですが、割れ落ちやすく、管理泣かせの道路です。ご迷惑をおかけしますが、ご辛抱を。それと、本来、観光の目玉であったはずの奇岩が、樹木の成長によって隠れてしまい、見応えがなくなっている点も気になっています。安全上の問題や、所有権の問題等はありますが、一部だけでも景観を復活させられないものでしょうか。イイ知恵があれば、教えてください!

投稿者 boss_blog : 16:03 | コメント (0)

2011年08月05日

山田町から

やまだ.jpg

東日本大震災に関する復旧復興支援調査特別委員会の現地調査で、きのうから宮城県と岩手県に来ています。写真は、岩手県山田町の災害ボランティアセンターにて。詳細は、後ほどゆっくり。

投稿者 boss_blog : 12:18 | コメント (0)