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2007年01月08日

お陰様で成人式        NO.148

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※きのうの成人式から

 きのうは、成人式。私事ですが、ワタシの子どもも、お陰様で成人式を迎えることができました。地元名張市の成人式に出席し、会場内の二十歳のみなさんを眺めながら、この子たちも、みんなちょうど20年前、自分の子どもと同じように、この世に生を受けたんだなと感慨深かった。

 昨年の後半は、いじめや自殺、虐待が大きな話題として取り上げられたが、この子たちはどうなんだろう。わずか、20年ではあっても、もうすでにその歩みには、いろんな違いが出ていることだろうと思う。場合によっては、この世に誕生する時点で、環境や生い立ち、いろいろとハンディがあった子もいたかも知れない。

 自分の子どもの誕生を思い出すと、一番自分にとって大きかったのは、その誕生の瞬間に立ち会ったことだ。当時は、それが流行?になっていたこともあったと思うが、最近はどうなんだろう。自分にとっては、貴重な体験だった。(今から思えば、すり傷の血を見るだけで青くなるタイプなのに、よく立ち会ったものだと思う。)

 妻も、自分も安産の予感がしていたので、落ち着いていたつもりだったが、さすがに産まれる瞬間だけはビビった。子どもの心音が、産道を通過し、もう間もなく外へというピーク時には、あぶなっかしいくらいに早くなり、こちらの心臓までバクバクした。母親の産みの苦しみはもちろん、赤ちゃんも産まれる苦しみ?を乗り越えてこの世に出てくる。今でも、その心音を示す電子音は耳に残っている。子どもの頭が少し見えた時には、何やらほっとした気がした。そして、産まれると同時に、へその緒を切らせてもらった。

 母親は、「お腹をいためた子」というだけあって、子どもとのつながりは自然と強いが、父親は、自ら「お腹をいためる」ことはないだけに、そういうつながりは弱い。でも、自分にとっては、出産に立ち会ったことで、妻の産みの苦しみを共有できたような気がするし、産まれた瞬間から、子どもとの関係が始まったという思いがある。それは、ある意味、この20年間、「お前が産まれようとしたその瞬間を俺は知っているぞ」という思いが生き続けていて、「しっかり育ててあげたい」という思いや「万が一、道を間違うようなことがあれば、タダでは済まさないぞ」という思いにもなっていた気がする。

 これから、子どもを産み育てる若い人たちには、是非、そういう思いを持ってほしいと思う。今は今のスタイルがあると思うので、どういう形がいいのかわかりませんが。でも、そうした体験は、きっと将来、子どもとの関係において、何か違うものがあると思うのですが。特に、父親にとって。

 

投稿者 boss_blog : 2007年01月08日 13:58

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