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2006年09月06日

まちづくりは女性と同じ!?

 今日は、久しぶりに旧町を歩いた。インターン生として我が事務所bossに来てくれている松本和樹君にまちなかを案内するためである。彼は、三重大学工学部の建築学科で、まちづくりを勉強したいというので、名張の市街地活性化プランである「まちなか再生プラン」を読んでもらい、その上で興味のあるところを実際に現地で歩いて説明することにした。

kitamura.jpg


 まずは、車で上八町から東町を抜け、初瀬街道の雰囲気をみてもらった後、藤堂家邸跡をスタートに「まちなか」を歩くことにした。藤堂家邸跡では、ちょうど「みてみて名張」・代表の川瀬洋二さんの「街角切り絵原画展」が催されていたので見学させてもらった。こうして見ると、藤堂家邸跡もなかなかいいギャラリーになるなあと妙に感心してしまった。もちろん、川瀬さんの切り絵がすばらしかったことが大きいのだが。その後は、城下川を中心に簗瀬水路の様子、特に開渠の部分と暗渠の部分を比較しながら歩いたり、名張独特の路地風景「ひやわい」を抜けたり、乱歩生誕地の顕彰碑などを見て歩いた。

 まちなかを歩きながら、ふと、先程お話をした川瀬さんの言葉が思いだされた。「女性は、多くの人に見られれば見られるほど、きれいになる。まちも同じで、多くの人に見られれば見られるほど、きれいになるんだ」と。まちづくりなんて、ホントそんなものかも知れない。この旧町で生まれ育った人間だが、なぜか以前より今日は「まちなか」が素敵に見えた。まちづくりに携わる多くの人々が、このまちを見つめてきたお陰かもしれない、そんな気がした、。

投稿者 boss_blog : 2006年09月06日 22:11

コメント

こんにちは、ご実家の近所、新町に住んでおりますTと申します。HPが新しくなったのを知りませんでした。
Blogも毎日更新されておられるようでこれから楽しみに見させていただきます。
乱歩先生生誕碑は町の有志が発起人となり住民の力で作られたもので、その除幕式は乱歩先生も参列され華やかに執り行われたと、祖父より聞かされております。もともとは舛田医院の土地であったのが最近名張市が寄贈を受け、市のものになりました。ところが・・・です。
 先日、花火大会の日に他所から見えたお客さんが乱歩の碑を見てくると言って出られたのですが、浮かぬ顔で戻ってこられました。聞くと背丈ほどの草が茂って見られたものではなかったと言うことで、私としては言葉も無く、自分のことのように恥ずかしい思いをしたのでした。まもなく草は刈られましたが、実は近所の方が市に電話したそうです。
 「行政と住民の連携によるまちづくり」という部分で
少し不安になる話です。
 せっかく毎日書いておられるのにコメントが少ないので長々と書いてしまいました。
ではまた。

投稿者 町人 : 2006年09月07日 16:38

 コメントありがとうございますです。まだまだ、まちづくりは行政がやること、という意識の方も多いのでしょうか?意識改革には時間がかかりますよね。でも、少しずつでも確実に前進していることも確かなので、お互い頑張りましょう。ブログは、始めたものの十分な宣伝をしていないものですから、すみません。また、口コミででも広めてやってください。よろしくお願い致します。

投稿者 ひろゆき : 2006年09月08日 00:34

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